【工務店のお仕事】平成28年熊本地震を振り返る【みえ日記@高松市】
2024.10.31
先週のお休みに熊本城へ行ってきました。
熊本の地に降り立ったのは初めて。くまもんと馬刺しが大好きです。
熊本地震を振り返る
熊本城には行きたかった理由は二つ。もちろん名称「加藤清正」が建てた難攻不落のお城が見たかった事、そして平成28年に起きた、熊本大地震の災害の爪痕をこの目で見届けたかった事。
「特別見学通路」では震災の後や工事の様子も見ることができる
熊本城は私自身かつて見たことのないような広大で巨大なお城で、機能美と荘厳さにただただ圧倒されっぱなしでした。その一方、各所で石垣が崩れ、モルタル吹付で応急処置をしているとはいえ、手つかずのところは山のようにあり、聞くところによるとすべての復旧終えるまで、25年とも35年ともかかるそうです。
熊本城の石垣は有名で、築城名人の加藤清正が名古屋城や江戸城も手掛けたことが知られてます。その立派な石垣も今回の震災でこの通り、ガイドさんによると、三層構造の盛り土、栗石、築石の中の比較的小さな栗石と言われる層が大きく揺れ動いたため、築石が中から押し出され崩壊につながったそうです。
下の写真が数寄屋丸の震災前の写真。平成元年に復元されたばかりの新しい建物で、他の石垣も全体通してだそうですが、度重なる地震や台風などの災害で修復された新しい部分が比較的多く崩れたそうです。
奇跡の一本石垣で知られる「飯田丸五階櫓」
こちらはあまりにも有名な写真。自然の恐ろしさと、先人の技術力と、町のシンボルの悲しい姿が相まっていたたまれない気持ちになったものです。
今は建物は撤去され、下のような様子に。安全のため無人作業で行ったり、何年もかけて解体作業が行われたそうです。こちらもこれから長い年月をかけて復元されていくのでしょうね。
樹齢800年の楠木が見守ってくれています。
闇り通路(くらがりつうろ)
こちらは難攻不落の秘訣の一つ。闇り通路。お城には明確な門は無く、この地下の通路からしかお城に入ることができません。(今は地元の方のアートが展示されていて、コラボ企画のようなことをしていましたが)
西南戦争で薩摩藩も落城することができなかった強固な熊本城ですが、この誰も攻め落とすことができないお城だからこそ、復旧作業も相当難しかったとされていました。
再建された天守閣は、当時の姿を維持しながら、実は内部は最新の技術で設計施工された鉄骨造。同様の地震がきても倒れないように、今の耐震基準に沿った建物で、それを逆に公開しているそうです。
西南戦争の時、燃えてしまった天守閣は、昭和35年に鉄筋コンクリート造で再建されたそうです。その時に忠実に再現された模型ですが、国宝並みに重要なものらしいですよ。今では、このような木造の建築物は法律上建築することはできません。
特別公開の見どころ | 【公式】熊本城(熊本城HPより引用)
熊本城の再建には30年以上かかるといわれています。現在石工さんたちなどの職人不足で今でも技術の継承が難しいのですが、30年と言えば一世代先。何のために復旧するのか、だれのために復旧するのか、、、今の熊本の人たちの心のよりどころとして、若い人たちに未来をつなぐために、復旧作業を公開しながら、工事の様子もしっかり見ていただきながら、新しくなったお城を身近に感じてもらう。そのような意図で30年後に取り壊し予定の見学通路が設けられています。ふつうは工事中の作業は見れるものではありませんが、頑張っている様子をたくさんの人が見てくれることも、工事に携わっている人のモチベーションにもなっているそうで、市民一丸となった取り組みが、熊本のまちを本当に元気に見せてくれていました。
正直いうと、熊本城の規模と、災害が残した光景と、ボランティアガイドさんや、現場で働く作業員さんのキビキビした様子。。。それらを見ながら当時のニュースを思い出し、ひとり涙で曇りながら熊本城の歴史を学んできました。
吉田建設ではスーパーウォール工法と耐震等級3+制震性能で人の命を守る家づくりをしています。私が初回面談を担当させてもらうときには熊本地震でSW工法の家が被害にあわなかったという話もさせてもらっています。今回実際に熊本の地へ赴き、地震の怖さを僅かながら知ることができ、改めて正しく意味を込めて家づくりを伝えて行けたらと思いました。
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